登山 初心者の心強い参入

肥料はかなりハリブリッドだ。

もともと水質管理が専門だったY氏は、肥料会社の会長(前社長)でもあり、下水汚泥を発酵させて肥料にする技術を開発した。 その会社が製造する有用微生物含有の堆肥を使うので、肥料代は通常栽培の約二倍かかるという。
その代わり収量がすごい。 作況不良だった91年に、Y式微生物農法で栽培された約200ヘクタールの平均単収が16俵(10アール当たり。
玄米960キログラム)、平年作全国平均の約二倍である。 試験田では32俵、つまり通常の4倍という実績もあり、Y氏は10アール50俵(21トン)取りにも自信をもっている。
米が余っているときに何を、と考える向きがあるかもしれないが、単収が上がれば作付面積が減らせる。 余った耕地は別の作目に転換しても休閑させてもよい。
日本では耕地面積が絶対的に不足だから不可能とされていた大規模輪作が可能になるのだ。 余った耕地がリゾート開発に狙われる危険はもちろんあるのだが、耕地が5分の1ですめば、一部を森林に戻すこともできるではこのほか、日本ではきわめて多彩な「民間農法」が実践されている。
なかでも、N氏が唱導する緑健農法は、有機物不要、極少農薬・極少化学肥料というユニークなものである。 雨除けのためビニールなどの農業用資材を必要とするので、必ずしもローインプットではないが、トータルにはかなり環境低負荷ではないかと、私は注目している。
一説によると、緑健の農産物は差別化をめざすレストラン業界でブランド商品化しているという。 そんなアホらしい話はどうでもよろしい。

これは、プロであるはずの料理人たちでさえ、もはや農産物を見る目を失ったことの反映だろう。 私の知るかぎりでは、たしかに近代農法や有機農法の産物より緑健農法の産物のほうが質のバラつきが少なく「上質」のほうにまとまっている。
しかし、緑健野菜使用がレストランの売りものになっては情けない。 緑健は農を事業として行なっており、農法の細部は企業秘密になっているのがネックだが、環境低負荷型農法としてきちんと評価してみるべきだと思う。
有機農業については、すでに平成3年度までの21年間、農水省が「有機農業技術実証調査事業」を継続し、筑波の農業研究センターでは「生態系活用型農業における生産安定技術」の研究を行なってきた。 うまくいけば、ここから近代農法をより環境低負荷型に修正するものが出てくるかもしれない。
ともあれ本章の結論はこうだ。 有機農業者はガンバレー。
有機農業に寄生あるいは随伴するデマゴーグと無農薬オタクはクタバレー知的でない「賢い主婦」は……どうでもいいや。 割箸を熱帯林破壊の犯人にしたのは誰か十人もはいればいっぱいになるという新潟市のある居酒屋の話である。
その店は常連客に箸箱をプレゼントし、「チャプスティック・キープ制」をとっていた。 これは、常連客を獲得するためにはいいアイディアだと思う。
客の多くは「選ばれし者の悦惚」にひたるため、繁く通ったにちがいない。 しかし、この店が大家の都合で店じまいすることになったときのママの言葉がいただけない。
この「街の小さな話」を報ずる「A」91年9月16日の記事から、割箸についての彼女の見解をそのまま引用する。 「このままだと、輸入先の熱帯雨林の乱伐がつづく。
なにもかも使い捨て、大量消費に慣れきってしまった現代を、みんなで考えてほしかったの」なんなんだ、これは。 割箸が熱帯林とほとんど関係なく、熱帯林の「破壊」とはさらに関係ないことは、少し調べてみればすぐにわかる。
しかし、その発言を明らかに妥当なものと判断した記者は、プロのジャーナリストじゃないか。 冒頭のセンテンスが誤った思い込みであることを当人に教え、そのママや店になにがしかのシンパシーがあるなら、後半だけのコメントで記事をまとめる力量があってしかるべきだ。
アタマの部分は記者の握造だなんてことは、まさかないよな。 80年代末、WWF(世界自然保護基金)が勇み足をして、こともあろうに割箸を熱帯林破壊の犯人と名指したことも手伝ったのか、戦後何回かの割箸廃止論ブームは、かつてなく高まり、長続きした。

やれ、どこの食堂が割箸をやめた、ゲーノー人の誰さんも彼さんも箸を持ち歩いている、という「報道」がうるさかったものだ。 91年後半になって沈静化したと思っていたらこの始末である。
これは、ジャーナリズム内部でブームのあいだにちっとも論議が深まっておらず、単に話題として飽きられただけだということを物語っている。 彼らには、自らが報ずることの真の意味を探り、事象の深部まで視線を届かせるため調査研究するということがないのか。
いやはや、ガラにもなくイラだってしまった。 というのも、環境保全のためと称して唱えられているあまたの提案のなかで、割箸をやめようというのはもっとも愚劣なものの一つだからだ。
これについては、すでにある雑誌に発表したことがあるので、再説するのはあんまり気が進まない。 いや、そうもいかないか。
実は、割箸廃止論の愚かさを明らかにしたその記事は、田舎(ということは、たぶん自然)志向派向けの雑誌に掲載された。 そういうメディアで、自称「自然保護」派の主張を叩けばどんな反応があるか、私は楽しみにしていた。
担当者には「割箸業界から金を貰ったパブリシティだなどといってくるアホがいるかもしれない。 クレームは全部こちらに回してくれ」と伝えてあったのだが、一カ月たっても何もない。

すっかり拍子抜けしながら「なんだ、マスコミが騒いでいるだけで、自然志向派だってバカじゃないんだ」と納得したものだ。 ところが、そうではなかった。
半年ほどもたってから同誌の編集長とまったく別の話をしていて、たまたまその件が話題に上ったためにわかったのだが、反響はかなりのものだったらしい。 小人数の編集部なので読者からの電話はほとんど編集長自身が受け、私の意向を担当者から聞いていなかったので伝えなかった、というのだ。
彼自身がアホくさいと思ったのか、私に伝えれば笑われると思ったのか、単に面倒だからやめたのか確認しそこねたが、その反響とは、「廃止論はなんだかうさんくさいと思っていた。 よくわかった」というもの一に対して、「ああまで言う必要があるのか。
これでは共闘できなくなるではないか」というのが3ぐらいの割合であったという。 私は絶句した。
割箸廃止論者と何に向かって共闘するんだ。 一方、割箸擁護論・容認論のほうにもおそまつなものがある。
廃止論の愚を直感的に見抜いたセンスのよさは買うが、間伐材を使っているからいいとか、はなはだしいのは払った枝を利用しているとか、いくらなんでもこれは乱暴である。 もう少しディテールの正確さを尊重してもらいたい。
神だって細部に宿りたまうのだから。 というわけで、しょうがないからもう一度おさらいをしよう。
割箸について、資源論的な視点をもってきちんと取材した情報は、前述の私の記事以外にはほとんどないといっていいくらい乏しいので、あんまり手を抜かないことにする。 私には割箸廃止論者と共闘するようなテーマはなんにもないから困ることはない。

以下に述べるデータはひじょうに正確なものだから、反廃止箸食文化圏は東アジア一帯に広がっているが、割箸は日本独自の創案だ。

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